論考

きれいに分類すると、顧客を見失う|「エンタメ・クリエイティブ産業戦略2026」の落とし穴

主題 事業社会 小径 視点関係

国がコンテンツ産業を本格的に支援する。いちコンテンツファンとして、こんなに嬉しいことはありません。「エンタメ・クリエイティブ産業戦略2026」が掲げる、制作への投資、海外展開、つくり手への利益還元は、いずれも必要な取り組みであり、そもそも、エンタメ・クリエイティブ産業が日本の柱として認識されることもありがたい。

ただ、資料の、内容というより切り口に、大きな違和感があります。美しく整理された資料にありがちな落とし穴がある気がしているのです。

現在の産業を把握し、課題を整理する仕事は必要でしょう。支援を届けるために業種を分けることにも合理性があります。どのように国として投資していくかというドキュメントなので、業種単位で整理するほうが体系的になるのは間違いないでしょう。しかし、その分類を、未来の市場を考える枠にまで使ってよいのでしょうか。すでに起きていることの分類をそのまま使うと、そこに収まらない新種の活動が見落とされてしまうリスクがあります。次のエンタテインメントは、まだ名前のない活動として現れるかもしれません。

とくに気になるのは、分類の軸です。

ゲーム、アニメ、マンガ、音楽、実写。これらは、おおむね作品のフォーマットや供給側の業種による分類です。制作に必要な技術や人材、資金を考えるには適しています。

しかし、消費者がお金を払う理由は、その区分とは一致しません。

アーティストやアイドルに対する推し活では、動画を見る、音楽を聴く、ライブに行く、グッズを買うという行動がつながっています。もっと知りたい、近くに感じたい、応援したい。その人にとってひと続きの活動が、産業分析では映像、音楽、物販へと分かれる。支出は集計できても、それを生んだ欲求は見えにくくなります。

もちろん、今回の戦略も、業種ごとの支援だけを考えているわけではありません。流通網の強化や利益還元に加え、日本食・日本酒との連携、ファッションやスポーツ、体験価値にも目を向けています。しかし、やはりそこは「区分」同士の「連携」として整理してしまうと、見失われてしまう本質があるように思えます。

消費者にはどんな満たされない欲求があり、どんなひと続きの体験を求めているのか、という切り口も同じくらい重要なはずです。

欲求を起点に眺めると、目次や体系も変わるはずです。マズローの理論とかはべつに信用しているわけではないのですが、一応便宜的に、生理、安全、所属と愛情、承認、自己実現という五つの欲求を手がかりに、「不可分一体の体験」を整理してみるとどうなるでしょうか。

まず、生理的欲求について。身体の感覚を変えたいという欲求として再解釈すると、食べたい、休みたいだけでなく、ストレスを発散したい、アドレナリンが出るような興奮を味わいたいという欲求があるはずです。音楽や映像に圧倒されること、フェスやクラブで踊ること、酒を飲んで気分を変えようとすることが、この視野に入ってきます(これ自体、古い感覚かもしれませんが)。音楽、映像、飲食は、身体に働きかける一体の体験として捉えられます。

安全への欲求に目を向ければ、安心したい、落ち着きたい、日常の緊張から離れたい。そこでは、音楽や物語、映像に身を委ねる時間と、くつろげる場所や温浴などのサービスがつながります。食事や睡眠とも重なりながら、心身を整えたいという、ウェルビーイングに関わる願いが見えてきます。つまり、興奮したいときの映像・音楽と、落ち着きたいときの映像・音楽があるわけです。業種「区分」に沿って整理すると、これらが同じ区分に入ってしまいます。

愛でたい、誰かとつながりたい、帰属したい、一体感を感じたいといった欲求もあります。キャラクターを身近に置くことも、同じ推しを応援することも、この角度から考えられます。スポーツの観客は、同じユニフォームを着て、同じ歌を歌い、試合後には仲間と食事をする。売られたものから分類すれば、グッズ、アパレル、音楽、飲食などです。しかし、その人の一体感は、それらを通じて続いているかもしれません。

承認への欲求なら、認められたい、自分を好きになりたい、特別な自分でありたい。美容やファッションに加え、ラグジュアリーブランドやコレクタブルが入ってきます。希少なものを所有し、自分の好みや目利きを確かめたり、他者に認めてもらったりする。好きなアーティストの装いに憧れ、メイクを覚え、服を選ぶことも、なりたい自分に近づく体験としてつながります。フェスに参加しているいけてる自分をソーシャルに投稿するのも、承認欲求かもしれません(これもだいぶ古くなってきているが)。

自己実現なら、自分でつくりたい、上達したい、何かを成し遂げたい。創作や演奏、学習が並びますが、ここには推し活も入るのではないでしょうか。推しの成長や成功に自分の願いを重ね、応援によってその実現に参加する。そこには、いわば「自己実現の委託」という側面もありそうです。ファンは、他者の挑戦を通じて、自分自身の達成を感じているのかもしれません。

もちろん、これらの欲求も綺麗に縦割りできるものではなく、相互に重なり合います。一つのライブで、身体を高揚させ、仲間との一体感を得て、推しの成功に自分の貢献を感じることもあるでしょう。五つの分類は、あくまでも補助線です(そもそもマズロー)。

こうしてみていくと、やはり、たとえば飲食や美容や宿泊を、コンテンツとの「連携先」として挙げるだけでは足りなくなります。料理や空間は、体験そのものをつくるクリティカルな要素であることが少なくありません。憧れの自分に近づきたい人にとっては、音楽を聴くことと、装いを変えることが、ひと続きの活動です。産業分析で「他産業への波及効果」と呼ばれる消費が、その人にとっては、最初から目的の一部だったりするわけです。

「クロスIP」や「メディアミックス」も、この問いから考え直せます。IPを組み合わせ、複数のメディアに展開することは、あくまでも、「供給側」が何をするかの説明です。その組み合わせによって、誰のどんな欲求が、いままでより満たされるのかという需要側の話が欠落してしまいます。

同じ商品の内側にも、複数の購入動機があります。楽天ブックスが2024年に公表した、同サービスの利用者のうち過去1年以内にCDを購入した学生への調査では、購入理由として「アーティストを応援したいから」「作品を手元に持っておきたいから」という回答が多数でした。しかし、業種別の売上集計だけでは、こうした動機はわかりません。音源が売れたという記録だけでは、その人が何を買ったのかまではわからないのです。

「エンタメ・クリエイティブ産業戦略2026」の「価格設定における課題」のセクションにも、「情緒的価値」というキーワードが登場します。しかし本質的に重要なのは、それが、どういう具体的な欲求を満たすための情緒的「価値」なのかです。

この見方は、生成AIがコンテンツをつくるようになった今、いっそう重要になるように思います。

たとえば、リラックスできる音を流して時間を過ごしたいという需要では、生成された音楽が選択肢になりえます。一方、好きなアーティストの公演を楽しみたい、その活動を支えたいという需要は、AIでは当然満たせません。同じ「音楽」というカテゴリーへの支出でも、AIによる供給の増加が与える影響は違うはずです。AIを活用して稼ごう!という単純な話ではないはずなのです。

こうした体験をつなぐ働きは、古くから企業の戦略にも表れています。かなり陳腐な例にはなりますが、Appleはそういう体験をつくるのが上手な会社です(でした?)。たとえば、音楽等のコンテンツサービス、ストリーミングのソフトウェア、スマートフォン端末、ヘッドホンが、音楽を楽しむひと続きの体験をつくります。

しかしこれを、音楽事業、ソフト事業、ハードウェア事業、というふうに分けるのでしょうか。もちろん、フォーマットや機能で分けると、担当する業種も、必要な技術も、市場規模も見えます。

ただ、その整理によって、ユーザーが何にお金を払っているのかまで理解できたとは限りません。AIによって供給の条件が変わるとき、その違いは、事業の見通しや構想に大きい影響を与えるような気がしてなりません。

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